どっちが不自然なのか
スタッフブログ
大倉です。
先般、岐阜県にある養老天命反転地に行ってきました。
「意外性との遭遇」をコンセプトに、目で鑑賞するのではなく、身体から直接アートに触れることができる体験型の園地とでもいいましょうか。
広大な敷地に点在した巨大なアートとしての造作物は、平坦な面や直線が排除されており、起伏の激しい地面、湾曲面で構成された壁、人ひとりが身を寄せて漸く進める迷路のような隘路が接点になっている。このような「作品」がいくつも園内にあって、それぞれが室内と室外が地続きにつながって交互に出てくるような順路を歩ませます。
これら全体が一つの世界観を持って、「常識とは何か?」、「あたりまえってなんだろうか?」を身体を通じて問い質してくるような気がします。しかも、頭で創作された意識を通じてではなく、言い訳のしようがない身体に直に投げかけられるのです。
思えば、私たちの慣れ親しんだ世界は奇妙なものです。
例えば、都会のかっこよさげな名前を冠する高層ビル。フロアはどこも平坦で同じ固さ、温度はセントラルヒーティングにより集中管理されどこでも定温、風が吹くこともなければ、においを感じることもない。LED照明でどこを歩いても一定の明るさ。こんな環境、自然ではまず起こりえません。そうか、自然を一つ一つ排除することで成り立っているのか。
そんな、「違い」をなくし、「同じ」を求める人間の意識が作り出す人工物の中での暮らしが生活の中心地となれば、上記の「半人工半自然」の構造アートに違和感を覚えるのも無理はない。きっと、自然の動物がこの地に迷い込んでも私ほどの違和感は感じないだろう。自然界には、直線もなければ平坦もないのだから。
ちなみに、マドリン・ギンズがこの地を頭の中で構想していた時のメモや手描きのスケッチが、身体感覚を狂わせる作品のあちこちに展示されていて、これが一番面白かった。興味があれば探してみてください。
すぐ隣には、小さな子供も楽しめる遊園地とアスレチック広場、手ぶらで楽しめるキャンプ施設もあります。私たちはこのキャンプ場で一泊しました。
山を抱えたこの奇妙な複合施設は、構想者の息遣いを感じさせる自然と人工のハイブリッドな有機物のようにも思われます。

「また行きたい」と思える稀有な場所でした。
※追記
おそらくは、大いにこの作品の意図を誤解しているのかもしれないが、そう感じたのだから仕方がないのです