「生きている」から本が読める
スタッフブログ
こんにちは、営業部の大倉です。
私は趣味というか、意図して継続してきたことはあまり多くないのですが、ふとやってしまう行動がその人らしさを表すモノサシになるではないかと思っています。
そういう意味では、読書と散歩(まち歩き)はどんな時でも勝手にやってしまうので、私の性格や発想にかなりの影響を与えてくれていると思います。
そんな、本を読むことに関してですが、個人的には「本を読めば頭が良くなる」なんてことはまずないと思っています。このことは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーが『読書について』という本で嫌味なほど丁寧に語ってもいます。
なるほど、では読んだ本の内容が分かる分からないは、知識の多寡や頭の良し悪しではないということも言えそうです。
そう言えば、最近一気読みしたのですが、『聴くことの力』(1999年 鷲田清一著)という本があります。
25年ほど前に買ったけど、本棚の隅でホコリを被っていたものです。ふと思い出してもう一度手に取ったのですが、今度は始めからスルスル読み進められるのです。自分でもびっくりしながら、あっという間に読み終えてしまったのです。
なぜ自分でも驚いたかというと、20才前後の時に初めて読んだ時は、全くのチンプンカンプンですぐに辞めてしまったからです。本当につまらなすぎて数ページで読む気が失せた記憶があります。
ではなぜ、今回はページを捲る手が止まらないほどのめり込めたのか?
知識が当時より多少は増えたからかもしれませんが、私は「時機が来たから」だと思っています。つまり、この20年間の現実の世界での様々な経験があって、本書の中で取り上げられているテーマや使われていることばへの感度がぐんと上がったから。そして、そのテーマが自分の事として切実になったから。
機が熟すと言いますが、「本を読める自分になる」のを待つというスタンスも、読書をライフワークにするには必要だと感じます。
本を読むのに必要なのは、日常を精一杯生きることで世間や人間への理解を深めることと、自らの内にテーマを持つことなのかもしれません。